FTMの大学生時代~治療編①カウンセリング~

FTMの治療

カウンセリングを初めた大学1年生

大学生になっても自分自身の性自認は男性のままだった僕。
とにかく自分以外の当事者に出会いたくて、GREE・mixi・デコログなど。
ありとあらゆるネットワークを使っていろんな人との繋がりを持つようにした。

それでも自分の中のモヤモヤはずっと続いていて、その気持ちに早く蹴りをつけたかった。
自分は男として生きたいのか。それともこのまま生きて行くことが正解なのか。
誰かに“これが正解だよ。”と言ってもらいたくてたまらなかった。
自分の気持ちが定まらぬまま、とにかく一度カウンセリングを受けてみよう。
そうしたら何か自分の中で変わるかもしれない。

そこでインターネットで検索し、トランスジェンダーの診断で有名な東京のメンタルクリニックにいってみることにした。

なかなか進まないカウンセリング

当時北関東の大学に通っていたため、メンタルクリニックへは鈍行電車で片道1時間30分ほど。
往復約3時間かけて通っていた。

初めてクリニックに入るときは凄くドキドキしたことを覚えている。
なんだか大人の階段登るような気持ちだった笑
トランスジェンダーの診断で有名なクリニックだったため、当事者なのかなと思われる方が多くいた。

いざ受診をする時、ドクターに僕の現状や気持ちを説明するも、理解が早い。
今までたくさんの当事者をみてきたんだろうなと。

そしてドクターは僕の中に性自認の揺らぎがあることもすぐに見抜きこう言った。

“まずは臨床心理士の先生と色々話をして、自分と向き合ってみようか。”

ドクターは臨床心理士の先生がいる別部屋へ行くように指示。
その先生に自分の今思っていることを話すことになった。


臨床心理士の先生と2~3分程度話す

僕から聞いた話を臨床心理士の先生がPC上でまとめる

ドクターが記録を確認

“今の気持ちはこういう状態なんだね。”
とドクターがまとめて診察終了。

ドクターとの時間はほんの数分。

受診に行くたびにこの診察方法が繰り返され、僕自身の中で何も変わっていない気がした。
本当にこの時間に意味はあるのか疑問を抱くようになり、一度カウンセリングに行くことをやめてしまった。

性別移行を決め再開したカウンセリング

性別移行の覚悟が決まったのは、当時付き合っていた女の子からのきつい一言がきっかけ笑
FTMの大学生生活参照)

それに伴って、大学4年生になってカウンセリングも再開することにした。
カウンセリングを中断したのが大学1年生の時。
約3年越しのカウンセリング。

3年間での自分自身の気持ちの変化をドクターに伝える。
先生は僕自身に性自認の揺らぎが無くなったことに気づいたのだろう。

ようやくここで”自分史”を書いてくるようにとの宿題がでた。

性別適合手術をガイドラインに沿って受けていくためには
幼少期から今までの自分の経緯についてをまとめる”自分史”が必要になる事はネット情報で知っていた。

だからこそようやく自分自身も、スタートラインに立てたそんな気がした。

ここまできたら後はとんとん拍子で話は進み、書いてきた自分史を元に受診を繰り返していく。

診察方法は今までと変わりはなく

臨床心理士の先生と自分史を元に5分程度話す

僕から聞いた話を臨床心理士の先生がPC上でまとめる

ドクターが記録を確認

“この当時はこういう気持ちだったんだね。”
とドクターがまとめて診察終了。

臨床心理士の先生と振り返り作業は1回の診察で全て振り返るのではなく、

”今日は幼少期について教えて下さい。”

と、幼少期・小学生・中学生・高校生・現在と分けて振り返り作業を行った。
そのため、性別移行の覚悟を決めた後も5~6回はカウンセリングに足を運んだ。

無事にカウンセリングが終了!これでついに診断がおりる!わけではなく、、、
その先にはなんとも言えない染色体検査が待っていた。

FTMの大学生生活~治療編②染色体検査~へ続く。

FTMの治療自己紹介
スポンサーリンク
MAKIをフォローする
この記事を書いた人

0歳
女として産まれる
18歳
自分が何者かわからなくなる
24歳
戸籍を男性に移行
27歳
シス女性と結婚
AID 反対の両親を4年かけ説得
30歳
シリンジ法にて妊活を開始  
31歳
FTMパパになりました。

女性として生きていた時から男性そしてパパになるまでの自分の過程を綴っていきます。

MAKIをフォローする
Maki's BLOG

コメント

タイトルとURLをコピーしました